難儀な微熱
 〜大戦時代捏造噺

  


 一体何が刺激になったものだろか。勘兵衛がぽかりと目を開けると、殺風景ながらも整頓だけは行き届いている室内は存外明るくて。他は一つも変わらぬながら、それだけでも日頃とはずんと異なるという強い違和感に襲われる。このところの もはや当たり前のそれとなった、折り目正しく起床を促す声や、それより逆上った頃合いの。出来るだけこちらを起こすまいとしてのこと、息を殺して慎重に懐ろから抜け出す、まだまだ不慣れな誰ぞの気配の、いかにも稚
(いとけな)い擽ったさなどに。甘く優しく揺り起こされた訳じゃあないらしいと気がついて。その次に気づいたのが、

 “…熱い?”

 自分の懐ろが異様に熱を帯びているような。厳しかった夏の暑さも落ち着いて、そろそろ重ね着をせねばじっとしていると肌寒いと感じるほど、秋の気配も色濃くなって来た頃合いだというのに。去ったはずの夏の陽でも抱え込んでいるかのような、じんわりとした熱…をおびた何物か。寝間着代わりのインナーシャツの、薄い生地越し、こちらの胸元へじかに当たっているらしく。

 “こうまで寝苦しかっただろうか。”

 自分はさすがに、十年以上も従軍暮らしが続いている身の蓄積から、暑さや寒さへのこらえは利く方だけれども。そういえば北領育ちの副官殿は、随分と暑いのが苦手ならしくって。殊に、コトの後なぞは、総身へ甘く匂い立ってのまとわりつく汗が、火照りを鎮める邪魔をしてだろか。夏の間はなかなか寝付けないでいたものが。このところは夢魔にでも吸い込まれるように、そりゃあ すやすや眠りについていたほどで。

  ……などなどと

 あーだこーだと余計なところへまで思案を巡らせているばかりじゃあ、なかなか埒が明かないというもの。悪い夢でも見ての起きられない彼なのか。そしてそれだから、その温みが籠もってのこと、こちらの懐ろを暖めていて。こうまで温もってしまっているものかと思いつつ、

 「七郎次?」

 そろそろ起きないか?と。初めてのことじゃあなかろうか、こちらからそんな声を掛けてやりの。少しほど顎を引き、こちらの胸元へと臥せられた細おもて、そおと覗き込んでやったところが……。

 「………シチ?」

 剥いだ布団の下から現れたのは、どこか頼りなく萎えて見える、自分よりも一回り小さな若々しい肢体。自分とあまり代わり映えはしない、配給ものの寝間着というか、平服、普段着という恰好だが、萎えての力ない様子でいながらも、眠ってなぞいなかったらしく。薄く開いた、いやいや 今にも閉ざされそうになった目許には、薄暗い中でも判ろうほどの強い赤みが差しており。双眸にも潤みが強くたたえられ、日頃の、青玻璃のように涼しげな爽やかさなぞ微塵もない。なだらかな肩を上下させねば息が続かぬらしい様は尋常ではなく、こちらの胸元へ触れている顔や額だけじゃあなくの、総身が熱く。さらさらとした手触りが絹糸のようで、勘兵衛が秘かに気に入りとし、隙あらば手をやっては微妙なお顔をされている金絲の髪が。額や頬へ乱れたそのまま張りつくほど、じっとりと汗までかいているのへ、ここでやっと気がついた島田隊の隊長殿。

 「七郎次? …シチ? しっかりいたせ?」

 ただならぬ事態への対処へと、その頭が切り替わり、さあ大変だと身を起こす。重なり合ってた身の上下を入れ替えて、今から数時間ほど前に、今と同じように…どこかしどけなくも熱っぽいお顔へと至らせたのと、奇しくも同じ態勢となりながら。その折とは比ではないほど萎えての、力ない身の副官殿を覗き込み、

 「案ずるな。今すぐ、惣右衛門のところまで運び込んでやるからの。」

 若い者らの無茶や無謀を辛口の物言いで叱咤しつつも、いつだって親身になっての手厚い診立てをしてくれる。この支部基地内の専属軍医長殿の名を出せば、

 「…。」

 やっとの応じか、こちらを見上げ、何かしら言いたげなお顔になった七郎次であったのだけれども……。





  ◇  ◇  ◇



 まだ午
(ひる)には間のある午前の朝ぼらけ。蜜色に透き通った陽光が満ち満ちた、それは明るい執務室は、常と同様 整然とした静謐を保っており。日頃、それは上手に淹れているのだろう副官には敵いませぬがと。芳しい香をまとった湯気の立ちのぼる、大きめの湯飲みをデスクへことりと載せた白い手の持ち主が、

 「それで? 何と言ったのですか? 奴は。」

 女泣かせの甘さと響きと、絶妙に絡ませての低い声でそっと尋ねれば。

 「…自分で歩いてゆきます、と。」

 精悍なお顔を憤然とした表情で塗り潰しもって言い返す隊長殿へは、窓辺の長椅子へと腰掛けていた断髪頭の黒髪の隊士、この第二小隊の双璧の片割れまでもが、ついのこととて吹き出しかける。誰を案じての差配だと思っておるかという、問答の顛末が可笑しかったのは勿論のこと。同じように思ったのだろう、日頃厳しい表情に引きしめられていることの多い隊長殿の、ありありと憮然とした…珍しいほど感情豊かなお顔もまた、笑いを誘ってやまなくて。
「…征樹。」
「あ、ああいや、えとその…。」
 さすがに勘の冴えは鋭いままか。自分が笑われる覚えはないぞとの、不機嫌そうな一瞥をくれた隊長殿へ、
「まあまあ、勘兵衛様。」
 もう片やの双璧殿が宥めるように声をかけ。
「部隊の方は、ご心配なく。」
「そ、そうそう。俺らで監督出来ますからね。」
「よって、勘兵衛様は。」
 ここで書類相手かたがた、奴についててやって下さいませなと、やんわりと目許を細めた良親がとりなして。それではと、急いで立ち上がった征樹ともども、踵をぶつけての直立し、わざとらしくも白々しい敬礼を捧げてから、恭しくも頭を下げると目礼を残して退出してゆく。戦地に立って采配を執っているとき以外は、むしろ寡黙で口下手な隊長殿の、秘したる意までも巧みに酌んでくれ、いつでも頼もしき双璧二人を見送った勘兵衛だったが、

 「……。」

 どうせ扉から出た途端、たまらず吹き出しておるに違いないと。これには…これまでの様々な場面で得た蓄積も必要なくのあっさりと、見通しておいでのご様子で。まま、それも仕方がなかろうとの吐息をつくと、今朝の騒ぎをあらためて思い出す。いくら気丈で鳴らしていても、床から起き上がれぬほどの重篤な身。どうしてその足で歩いて行かせられようかと呆れたそのまま。そこは軍人の習いから、芝居の早変わりも かくやという手際のよさにて手早く着替えると。そちらはやはり ぼうとしたままな副官を、まだ薄いそれであったのを幸いに、布団で巻いての簀巻き状態にし。肩の上へとかつぎ上げ、市街地ならば番地の区画が異なろうほど離れた療養棟まで、連れてゆくのに かかった時間は十分と費やさぬ迅速さ。そうやって運び込みの、まだ起きぬけだったらしい惣右衛門医局長を、その私室まで届けと呼ばわって、
『どうかどうか、お静かに願いまする』
 早番だった救護班全員をあたふたさせての、特別に呼び立てていただいたその末に。丁寧な診察ののち、下された所見は、

 『風邪、じゃな。』

 大方、このところの朝晩の冷えを甘く見たのだろうて。他の部署にも似たような連中がぼつぼつおっての。だが…そちらは総務の事務担当の新入りというモヤシ小僧が大半で。
『…。』
 そこまでを自分で並べた惣右衛門殿。ふと言葉を切ると、じいと、自分よりもずんと上背のある勘兵衛の顔を見上げてから、

 『ほどほどにしてやって、事後は汗くらい拭いてやらにゃあ。』
 『うむ。今度から気をつけよう。』

 七郎次にまともな意識があったなら、恥ずかしさから茹でたようなお顔になって、あらぬ文言を絶叫していたかも知れないような。そんな素っ惚けたやり取りがあってののち、
『…風邪ごときなら、兵舎で寝て治せと言って終わりなのだがな。』
 ここで“う〜ん”と唸ったのが、惣右衛門の方。というのが、

 『熱を出したら、こうまで色香が増そうとはの。』

 日頃の七郎次をよくよくと知っているからこそ、その落差にこれでも驚いておいでの老軍医殿。名うての猛者やら豪傑揃いの第二小隊に於いてでも、他所の隊士との大喧嘩をやらかしちゃあ先輩諸氏が仲裁に出るのをそろそろ持て余すほどの、無尽蔵な若さに満ちての溌剌とした清々しさや凛々しさはどこへやら。熱で気怠くてのことだろう、ゆるゆるとした緩慢な所作は、その頼りなさを目線の遣りようへまで及ばせていて。のぼせの熱を逃がすよに、ふうと零れる溜息の甘さといい、その吐息に赤く炙られた濡れた口許といい。

 『こんな態の“これ”を兵舎へ放り込んだら、
  途轍もないことになりそうなのは、火を見るより明らかだの。』

 弱っていての危なっかしさが原因か、蕩けそうになっての少々斜めに傾いた美貌が、こんなにも妖冶な色香を溢れさせようとは。さしもの勘兵衛でさえ、予想だにしなかったらしくって。
『後難恐れての我慢の子らが、脂汗垂らして生き地獄を見るか。それとも、そんな中で箍が外れた馬鹿者が、史上稀に見るほどの大騒ぎ、そりゃあ破廉恥な悶着を引き起こしてしまうかも。』
『…惣右衛門殿。』
 ただでさえ弱っている七郎次の身を案じてのことで、他意は無かろうその気持ちは判らないでもないけれど。自分も属する隊の兵卒を捕まえての言いようにしては、一体どういう把握をしておいでだか。僭越ながらも窘めるような声で咎めれば、
『いやいや、それだけこの副官殿の容体の、悩ましさによる破壊力が凄まじいということよ。』
 儂は恐らくはお主が生まれた頃より、軍という環境に長々と籍を置いて来た身ぞ? このような大戦こそ始まってはおらなんだが、それでも部隊内でのそういった騒動、軍医という立場から数々見て来た蓄積から言うておるのだ、と。妙なことへと威張って(?)見せる医師殿であり。その蓄積とやらから断じてのこと、


  『勘兵衛殿の手元へ置くのが、
   誰へも何へも波風立てずに済ませられよう、最も安全な対処だろうて。』






  ◇  ◇  ◇



 帰りはもう少し穏当に、頼もしい双腕へと抱え上げられての帰還と相成ったものの。早朝とは呼べぬほど既に時間が経っていただけに、擦れ違う頭数も多かった中を、この態勢で のし歩かれて。
『勘兵衛様〜〜。////////』
『足元が覚束なくてふらつくのだろうが。』
 そのような状態の者を、あんよは上手とのんびり先導してやれるほど、気長でもなければ暇でもないのだと。すっぱりと言い放った上官殿は、
『恥ずかしいなら亀の子のように首を引っ込めておれ。』
 ブランケット代わりに掛けてくださっていた上着の下へと引っ込んでおれば、顔は見えぬから誤魔化せようと。そのように言うて下さるだけのデリカシーは、何とか持っておいでだったけれど、

 “…そんなことをしたところで。”

 思い上がる訳ではないが、今の今、この勘兵衛がこうまでして、しかも日頃の住まいも兼ねている執務室…のお隣の仮眠室までの道程を、わざわざ運んでやる対象というと、自分くらいしかいないのではなかろうか。体格といい、このようなうっかりをしでかしてしまう不肖なところといい、兵舎じゃあなくのそんなところへ運ばれてゆく、ややこしい肩書持ちなところといい。第二小隊の隊士の中、他には到底いそうになくて。そして、そんな風に思うことで、

 “……こんな情けない隊士なんて、そうはいないよなぁ。”

 寝汗を放っておいただけで、歩けないほどの熱を出しただなんてと。選りにも選って自分でなぞった事実によって、軽く打ちのめされてる七郎次だったりし。部屋へ着いたころにはさすがに、惣右衛門殿からいただいた薬が効いたか、ひとしきり汗をかいたことで熱も去ったか、そんなこんなを思案できるほどには容体も安定したものの。勘兵衛からは“横になっていろ”との厳命が下されていて、すぐお隣りの執務室にさえ出入り禁止とされてしまい。ならば、お邪魔でしょうからと、兵舎で養生致しますと言ったところが、何故だかそれもダメと来て。

 “先に眸を傷めたおりは、療養棟で大人しゅう養生しろと仰せだったのに。”

 身体の方は大したことはなかったから、お願いですからこの執務室へ戻してくださいと、さんざんごねても聞いてもらえなかったのにね。こたびは逆に、ずっと目を離さぬようにという態勢でおいでで、晩は恐らく、日頃同様 懐ろに抱えてくださるつもりでもあろうほど。何せこの部屋には寝台が一つきりだし、熱が引いて来てもいたので、また冷やすやもと思えば…ありがたいといやありがたかったけれど。時々 書類へ添付する資料の有り処を聞かれたり、髭剃り用の石鹸の買い置きの場所を問われたりしつつ、でもでも、この方が断然落ち着く環境下、心細くはないのが嬉しかったけれど。

 “???”

 何だか平仄が合わないような気がしてならない、副官殿なのも相変わらずであり。まだどこか、ふわふわと落ち着かぬときのある熱っぽい意識の中で、布団の襟元に齧りつきつつ、夢うつつの七郎次が思ったことは、

 “勘兵衛様は、そうまで寒いのが苦手でおわすのかなぁ?”

 ……言ってなさい、この朴念仁。
(う〜ん)




  〜Fine〜  08.10.03.〜10.05.


  *シリーズを縦読みすると、シチさんが難儀に遭っての伏せる話が続いてますね。
   実は“拍手お礼”にしようかなと思ってもいたお話で、
   でも、それにしちゃあテーマが微妙で、
   そんなこんなで書き始めるところまでは至ってなかった代物でして。
   まま、先の『奇禍』は、こちらでおシチさん本人が言うとりますように、
   怪我とは言いがたい状態なので、眸を瞑っていただきたく。
   (いや、シャレじゃなくてね。)

  *若カン様にひょいっと軽々抱えられてる、ウチの未成年 若シチさんですが、
   これで勘兵衛様に何かあったなら、
   火事場の馬鹿力を発揮して、よいせと担いでしまう所存でおいでです。
   身長も腕力も、もうちょっとは伸びるだろうお年頃ですからね♪
   野営地から外れたところでも、戦火激しい中でも、必死で、確実に戻る。
   そんなイツフタに、早くなれるといいですねvv

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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